

|
帯刀坐禅(たいとうざぜん)とは、刀を帯びたことをイメージして、魂のバランスと、平常心を得るための精神統一法です。
なぜ、帯刀坐禅なのか 日本は1000年以上もの侍の歴史の中で社会を築いてきました。 「武士道」を書いた新渡戸稲造はヨーロッパ人に、日本の教育に「宗教」が含まれないことに驚かれます。諸外国では、宗教こそが倫理を教え、社会ルールの基盤です。 しかし、日本の宗教・神道はキリスト教やイスラム教、仏教とは異なる「道」であり、「神を崇め、教えを守り、広めること」ではなく、突き詰めれば「礼」です。つまり、私たちは「礼」だけで倫理を維持できる国民なのです。 さらに「武士道」も新渡戸がまとめた1冊の本であって、武士道という確立された教えはありません。 武士道を求めるなら「己を律し、礼を重んじる」ことを中心に、理想の人間になるために、様々なところから学んで行いかねばなりません。 武士道は、武士という権力、そしてそれを象徴する刀を帯びる者を、律するために必要な倫理でした。 この、強い倫理観は、強力な武器である刀の重みとバランスを取っていたからこそ存在し得たのです。 ですから、絶対的な社会と刀を失った現代では、武士道を維持するのはとても難しいことです。 新渡戸は「武士道」の終わりにこう書いています。 とすれば、私たちの魂はこの倫理観を受け入れる「器」を持ち続けているのではないでしょうか? そのため魂は、自然とこの器を満たすことを要求します。ところが刀を持たないために、形にならず、バランスを失ってしまうのです。 あなたが魂のバランスを求めるなら、この「帯刀坐禅」を試してみて、もう一度刀を手に入れてください。 刀は象徴です。実際にはなくても、その存在をしっかり意識することで、魂のバランスを維持してくれるはずです。 ほんの数分の精神統一では、全てを得ることはできなくても、武士の一分を得ることができます。 |