P3

当時の私は、トラベル英会話の本に載っている決まった表現しか喋れなかった。

人並みに英語の勉強はしてみたし、海外への憧れもあったから、
自分なりにいろいろ試してはいたけれど、ど〜しても身にならなかったのだ。

英語が言葉というよりは「物理方程式」のように感じていた。

だから『英語を話さなければならない状況に行けば』なんとかなるかと思って、
ひとり旅に出たのだ。

しかし、その根拠のない期待は、やはりただの妄想にすぎなかった。

旅に出て1週間目のことだった。

私はある町から長距離列車に乗った。

シーズンオフということもあり、コンパートメントと呼ばれる列車の個室は私ひとりきりだった。

英語ができないから、ひとりの方が気まずくなくて、ありがたかったが、
やっぱり、誰かとお喋りしながら旅ができたら、楽しいだろうと思っていた。

お昼をちょっと過ぎたころだろうか、列車は小さな駅に停車した。

そして10分ほどして、なんの前触れもなくガクンと揺れ、また動き出した。

暫くして、車掌に礼を言う声が聞こえ、コンパートメントのドアがガラガラっと開いた。

「こんにちは。ここいいかな? 車掌さんがね。日本人がひとりで乗ってるって、教えてくれたもんだから」

入って来たのは、とても気さくな感じの紳士だった。

(C)ZENYOJI 2008